7月にお知らせしたスリランカ密林遺跡探査隊ですが、全員無事ジャングルから出てきたようで下記報告が届きました。今回はかなりの成果があったようです。ドローンでの撮影もしてきたようですので、いずれモーリーにて放映予定です。
(以下、隊長の岡村氏より原文ママ)
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【タラグルヘラ山遺跡の発見に成功、別遺跡で先住民の岩絵も発見】
8月6日にコロンボを発ったNPO南アジア遺跡探検調査会の「スリランカ密林遺跡探査隊2018」(スリランカ政府考古局との合同隊)は、曲折の末に8月18日、同国南東部のヤラ自然保護区のジャングルにある目的地のタラグルヘラ山に到達、翌日にかけて山頂の仏塔跡や付近の岩窟寺院跡、密林中の建造物跡などを次々と発見したほか、23日にはマルワーリヤと呼ばれる孤立岩丘の岩陰で先住民ヴエッダ族の岩絵を発見するなど多くの成果を上げて、26 日夜にコロンボに帰着しました。
クラウドファンディングや直接のカンパなどで多くの方々のご支援や声援を受けて実行できた今回の活動でしたが、無事に所期の目的を果たせて本当にホッとしています。みなさま本当にありがとうございました。…
また、日本隊(小生と学生5人)はネット環境のないブッタラの宿で遺跡測図などの整理を行っていたために、一足先にコロンボに帰ったスリランカ政府考古局探検課の探査主任T.M.C.Bandara氏のフェイスブックをシェアするだけで、ご報告が遅れたことも申し訳ありませんでした。
自然保護のために厳格な立ち入り規制が敷かれているヤラ地方のジャングルに入り、遺跡を探査するという今回の企画は、4年前に小生が発想してスリランカ考古局に働きかけ、2年前に合同隊での入域には成功したものの遺跡発見には至らず、今年は再挑戦の形で実行したものでした。しかし入域直前までスリランカ自然保護局と考古局間の折衝が難航し、結果的に日本隊では休暇期限のある社会人の隊員3人が入域を断念して帰国したほか、ポーターとして雇用予定だった村人も入域を拒否されたため、ベースキャンプと前進キャンプとの補給線が作れず、作戦の練り直しを迫られました。
結局は、ベースキャンプ設営後に一日の偵察を試み、あとはGPSを頼りに最低限の水と食料を持って一泊のビバーク形式でタラグルヘラ山へ向かうという、賭けのような行動形態になり、それが前回とは違って見事に一発で成功したというのが正直なところです。
ただ、GPSがあるとはいっても、視界がまったく閉ざされ、まるで鉄条網をまとめて置いたように有刺植物が繁茂するジャングルでは、直進はできず、かすかな獣道(ゾウの道)を拾いながら、腰をかがめ、鉈を振るってジグザグに進むありさまで、水も食料も不足したため、今年古希のold explorerには結構きつい道中でした。それでも成果があげられたのは、これまでの45年間、小生らの密林遺跡探検を応援してくださった方々のおかげだと思い、深く感謝しているところです。
発見したタラグルヘラ山遺跡は、百年以上前に英領セイロンのイギリス人測量隊が所在を確認して「1インチ=1マイル地図」に記載したものの、その後は探検も調査もされずにジャングルに埋もれていたもので、頂上岩盤に仏塔跡の煉瓦片とともに残る刻文が判読不明ながら初期ブラーフミー文字であるところから紀元前3世紀から紀元1世紀ごろのものとわかり、また頂上からは南に海も望めるため、古代の航海者にとっては白亜の仏塔が灯台の役割も果たしていたのではないかと推測されて、同行のバンダーラ探査主任らは「スリランカ考古局128年の歴史で初めての快挙だ」と喜んでいました。
また、マルワーリヤの岩陰で発見したヴェッダ族の岩絵には、これまでスリランカ国内で発見されている80ヶ所ほどの岩絵にはない意匠(ワニの絵か)や、何らかの数を表す文様があり、これも重要なものとなりそうです。小生らにとっても、1985年に法大隊がワッタンブガラという遺跡でヴェッダ族の岩絵を発見してスリランカ政府が調査研究と保護に動いたとき以来の成果となりました。
今回の探査では、周辺を含めて全11ヶ所の遺跡を発見・確認・調査して測図や写真に収めることができました。またドローンによる空撮も行い、そのドローンをNPOから考古局に寄贈して操縦指導を行うというミッションも果たせました。それらについては順次報告いたします。
小生は現在コロンボで考古局に通って残務整理と各所への報告やお礼回りの日々です。かなり疲れていますが、すべては浮世の欠かせない義理。次の計画のためにもきちんと果たして帰国したいと思います。皆さん本当にありがとうございました。また長文で失礼しました。ではまた。
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