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幻の城・牛込城に迫る

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 神楽坂ー早稲田通りを中心とした小さな地域に多くの飲食店がひしめき合い、落ち着いた大人の繁華街として多くの人で賑わっています。

 この街にかつて、お城があったということをご存じでしょうか。


 その名も、牛込城。


 バー・モーリーがある地蔵坂のてっぺん、現在の光照寺のあたりに本丸があったとされています。戦国時代に築城され、わずか五十余年ほどしか存在しませんでした。その後、この地が街として発展していくにつれ歴史の記憶に埋もれていき、今や知っている人も少なくなり、幻の城となっていまに至ります。
しかしその名残は、いまの街並みに色濃く残されています。路地や段差の形などを注意深く観察すると、幻の城の面影が見えてきます。


 牛込城はどんな城だったのか。
 そして城がなくなったあと、城下町だった神楽坂がどのようにして発展していったのか。
 本講演では、現在の地図や写真、ストリートビューなどを交えながら、かつての牛込城を徹底解剖してまいります。昔と現在を比較しながら、神楽坂の歴史を皆さまと一緒に深堀りしていければと思います。

 神楽坂を愛する人も、歴史好きな人も、ただヒマな人も、少しの知的好奇心を持って、一緒に歴史紀行を楽しみましょう!

講師

菅沼 圭一朗(すがぬま けいいちろう)

書籍編集者。東海大学探検会OB。歴史、地理、サイエンスなど幅広いジャンルの書籍を制作。
講演歴に「おいらん淵伝説の真実を暴く」のほか別名義で「すごいサメ10選」「恐竜の素朴なギモン」などがある。元・東五軒町在住。

司会

上野 萌(うえの もゆる)

埼玉にてシェアハウス経営。モーリー学院中国語講師。雲南省が好き。

日時 

2022年4月23日(土) 18:00~ 一時間程度

場所

bar Morrlü (バーモーリー) 新宿区袋町2鈴木ビル1-C  

オンライン配信

ツイキャスにてオンライン配信
こちらからどうぞ→ https://twitcasting.tv/c:morrly/shopcart/145895

参加費

2,000円(1drink込み)

オンライン配信

1,500円

牛込城

神楽坂について(Wikipediaより抜粋)

神楽坂(かぐらざか)は、東京都新宿区牛込地域南西部に位置する。早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂である。坂の周辺の地名でもあり、神楽坂一丁目から六丁目がある。全域住居表示未実施。#町名の変遷を参照。江戸時代には、外堀に設置されていた牛込門に通じる交通の要衝だった[4]

なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」[5]となる。またこの地名は東京メトロ東西線神楽坂駅都営大江戸線牛込神楽坂駅など駅名にも使われている。

  • 名称の由来

神楽坂」の名称の由来について、『江戸名所図会 巻之四』(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる[4]。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。

  • 特徴

神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する[6]。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂上←坂下」となり、通行する際は注意が必要である。逆転式一方通行となった背景に、その昔田中角栄目白台の自宅から永田町に出勤し(午前)帰宅する際(午後)に便を図ったからともいわれるが、これはタクシーの運転手によって広まった都市伝説である[7]。実際の理由としては、急激な交通量の増加で規制を求める声が上がり、その最中に通り沿いの陶器店に車が突っ込む交通事故が発生、これが元で規制が行われたものの周辺で大渋滞が発生したことから、1956年に都心から西側の住宅地に向けた一方通行となり、1958年に現在の逆転式一方通行になった[8]

  • 周辺

神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれている。また関東大震災以後は、日本橋銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになった。山の手銀座と言われた[9]時期はこの時で、林芙美子や、矢田津世子の小説にも登場する。坂沿いには商店街が立ち並び、瀬戸物屋・和菓子屋など和を思わせるお店が中心であった。田山花袋は「電車がないから、山の手に住んだ人達は、大抵は神楽坂の通りへと出かけて行った」と記しており、都市交通網の整備によって、神楽坂から銀座や日本橋に殷賑の地が移って行ったと解している[10]関東大震災以降新宿が急速に発展し、「山手銀座」の呼称も新宿に奪われた[11]

2003年以後特にチェーン店やコンビニエンスストアの進出が目立ち、それとともに、夏目漱石の通った田原屋などの老舗が急速に減少しつつある。また周辺の住宅街でも次々にマンションが建設されており、昔からの風情は失われていっている。

表通りから一歩入ると静かな路地があり、住宅街のなかにレストランや料亭などが多く見られる。かつては江戸時代蜀山人、明治期に尾崎紅葉泉鏡花などが住み[12]、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっている。また、坂の周辺には毘沙門天善國寺をはじめ、若宮八幡赤城神社など多くの寺社が散在する。

周辺の学校には、東京理科大学法政大学があり、また、アンスティチュ・フランセ東京(旧・東京日仏学院)をはじめとし、フランス関係機関の多さから、フランス人をはじめ海外からの人も見うけられる。

坂下(飯田橋側)にあったパラパラの殿堂といわれたディスコ「ツインスター」(1992年開店)は2003年8月に閉店し、跡地は結婚式場兼フランス料理店が建設された。5丁目から矢来町にかけては、著名人なども住む高級住宅地と、一般住宅地が混在している。東京メトロ東西線神楽坂駅を過ぎ、矢来町へ進むと矢来能楽堂がある。休日には歩行者天国になり地元の商店街は多くの人で賑わう。

阿波踊り

毎年には神楽坂まつりのメインイベントとして阿波踊り大会が開催される。神楽坂まつりは昭和47年(1972年)に神楽坂商店会が中心となって始められ、阿波踊り大会もその時から行われている。参加団体が神楽坂を踊り歩き、周辺の津久戸小学校愛日小学校などの小学校や東京厚生年金病院も参加する。その他の参加団体には、かぐら連だむだん連などがある。徳島県杉並区高円寺から参加する団体もある。

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