お知らせ

『中国洞天福地調査隊 報告会』

投稿日:2020年11月9日 更新日:

第14回催事は、法政大学探検部による活動の報告会です。

2019年の夏に行われたものですが、やっと報告書が出たということで、今回の催事になりました。報告するのは勿論、隊長である辻氏です。是非、お楽しみください。

 古来中国において仙人は、不老不死の体を持ち、霞を食べ、空を飛び、変身する、超現実的存在として崇められてきた。

 だが、伝説通りの仙人は実在しないだろう。

 では、仙人のモデルとなった人達は実際にどのような生活を送り、どのような経緯で神格化されていったのか。

 彼らの本当の姿を知る為、仙人伝説の舞台となった道教における聖地、洞天福地の調査を行った。

 洞窟の観光地化の是非に揺れる村人や、現代において仙人を目指す修行者たちに話を聞き、不老の薬を作る錬金術の跡が残る洞窟についても報告する。

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隊 長 辻 拓朗(つじ たくろう)
    法政大学探検部4回生 雪山登山を中心に、沢登り、藪漕ぎ、
    川下りなど幅広く活動中。

日 時 2020年11月14日(土)19時~

場 所 bar Morrlü

参加費 2,000円(1ドリンク付き)

定 員 10名

オンライン配信 下記サイトよりチケットの購入をお願いします。(1,100円)

https://twitcasting.tv/c:morrly/shopcart/37081

※11月28日まで見逃し配信にて視聴することができます。

【趣旨】

    法政大学探検部ではこの夏、中華人民共和国浙江省にある、複数の洞天福地の現状調査と、洞天福地周辺の道館における修行者の生活調査を行います。

洞天福地とは、道教において、仙人や不老不死などに象徴される神仙思想と、洞窟や山を崇拝するアニミズム的な思想である洞天思想とが、合わさったことで形成された、道教における聖地です。また、洞天福地は仙人の伝説の舞台にもなっていて、道教が普及している地域では中国全土に存在しています。

    洞天福地周辺には道教の寺である道館が建っており、道館が洞天福地を管理しています。しかし、道館による洞天福地の管理の仕方は場所によって様々で、階段や照明をつけて入りやすく整備して、観光洞としているところもあれば、全く整備されておらず、草をかき分けて進まなければたどり着かなかないものや、そもそもどこにあるのかわからないものも多くありま  す。洞天福地については、唐の時代の道士である司馬承禎(647~736)が『洞天福地天地宮府図」に、杜光庭(850~933)が『洞天福地岳瀆名山記』に記述を残しています。そこでの記述は、十大洞天、三十六小洞天、七十二福地という形で合計百十八か所の洞天福地の場所と広 さ、その洞天を治める人の名前のみで、情報量が少ないです。ただ各洞天福地での伝承や伝説を記述した資料も存在しています。

道教の聖地である洞天福地の研究は、道教研究において必要不可欠な研究です。しかし、実際に洞天福地に足を運び、洞天福地の現状を調査している学者はごくわずかです。専修大学の土屋昌明氏は洞天福地の実地調査を行う数少ない道教学者です。土屋氏は、他の道教学者と協力して、2009 年より洞天福地の実地調査を行っており、これまでにその成果を『洞天福地研究

(第一号~第七号)』という研究誌で発表しています。しかし、彼らが調査できている洞天福地は全体の内のごく一部であり、また彼らは洞天福地の周辺の道館の様子やその周辺の調査を主体として行っており、洞内の調査をした記録はほとんどありません。しかし、洞天福地における洞内の様子は重要で、その大きさは千里とも万里とも言われることがあり、仙人伝説の舞台ともなっている洞天福地の実際の姿は未だ記録に残されていないのです。このような研究者が踏み込まない領域ではあるものの、行動力があれば学術的に重要な発見をすることができる洞天福地の調査は、研究者ではなく我々学生探検部員だからこそできる調査であると思っています。今回調査を行う洞天福地は天目山、天台山、括蒼山の三か所ですが、この三か所は全て、土屋氏や他の研究者が過去に調査に訪れている場所ですが、洞内には入ったことがない所で

す。この三か所であれば、事前に現地の情報を仕入れることができ、洞窟に辿り着くことも他の場所よりも容易になります。

今回の調査では、洞窟の調査だけではなく、道館を訪ねた際に、修行者の生活調査と彼らの持つ仙人像の調査を行います。仙人のモデルであったであろう昔の修行者がしていた暮らしと現在の修行者の暮らしの違いはどこにあるのか、彼らの目指すもの、彼らの持つ仙人像などについて知ることができれば、現代における修行者の仙人観の解明及び、仙人の実像の解明につながると思っています。 

【活動目的と調査方法】

・洞天福地の洞内及び周辺の調査

        洞天福地の現状を伝える記録はほとんど存在せず、現状が記録されている洞天福地であっても、洞内の様子を記録したものは、ごくわずかである。今回は現在洞内の調査をした記録のない洞天福地に行き、その全体像を記録する。具体的には、洞内の簡易測量、洞内及びその周辺の遺跡のスケッチに、映像撮影、文章記録を行うことで、洞窟の位置、洞内の様子(洞窟の形状、遺物の有無、洞内加工の有無)の調査、洞内及びその周辺の概念図(洞窟と遺跡や建造物との距離や方角などの位置関係、植生)の作成を行う。今回は測量機器を使った精密な測量調査は行えないので、歩測と巻尺、コンベックス、コンパスを用いた簡易測量を行う。また、調査前後にその洞窟に関する伝承の文献調査、聞き込み調査を行い、そこで知り得た伝承と実際の洞窟との比較を行うことで、伝承と現実の間の存在である洞天福地の実像の解明を行う。

・修行者の生活及び彼らの持つ仙人像の調査

        洞天福地を管理する道館を訪ね、道館に住む道士に、彼らの生活、彼らの持つ仙人像についての質問をする。質問と応答については、事前に質問を用意しておき、それに対する応答をボイスレコーダーで録音する。また、通訳が不在の場合は質問用紙に記入してもらうそれに対する答えを記入してもらう。また、彼らの住む道館に宿泊可能であれば、宿泊させていただき、彼らの生活を実際に観察し、写真、文章による記録を行う。それによって、その道館に現在住む道士の実態と、彼らの目指す仙人像を把握し、現代の道士における仙人の位置づけを知る。また、彼らの持つ仙人観と、仙人を目指す存在である彼ら自身と、伝承で語られている仙人との三者の比較を行い、仙人の実像の解明を行う。 

【参考資料】

〈洞天福地について〉

    道教の聖地であり、神仙思想に関わる伝説が残されていることが多い洞窟の事である。古来漢民族が住んでいる地域に広く分布していて、少数民族自治区以外の地域にはたいてい存在する。

    洞天福地思想の雛型が形成されたのは、遅くとも四世紀前半であり、東晋末の上清道教が理論の形成に大きく貢献したと言われる。当時漢民族には、経験から計り知れない神秘の世界である山岳の内部である洞窟は、神秘の中にある神秘ということで神聖化された。それを道教的な思想である仙人や「道」と結びつけて、洞天福地思想を形成したのであ  る。 

    唐の時代に司馬承禎(647~736)による『洞天福地天地宮府図』や杜光庭(850~933) による『洞天福地岳瀆名山記』で洞天福地についての詳しい記述を残されており、彼らは十大洞天、三十六小洞天、七十二福地という形で主要な洞天福地をリストアップしてい  る。それらの資料を元に洞天福地について知ることができるが、現在の洞天福地の状況を調査した記録はほとんどない。専修大学教授土屋昌明氏は数少ない洞天福地の現状を調査している人物で、他の道教学者と共に『洞天福地研究(第 1 号~第 7 号)』を発表しているが、そこでの記述を見ても、現在現地調査がされている洞天福地は、ほんの一部であ  り、ほとんどの洞天福地が未だに調査されておらず、また、学者が調査を行った洞天福地でも、洞内の調査をしているのは数か所である。 

〈道教について〉

「道教とは、中国古代のアニミスティックな民間の信仰を基盤とし、神仙説を中心とし  て、それに道家、易、陰陽、五行、緯書、医術、占星などの説や巫(フ)の信仰を加え、仏教の組織や体裁にならってまとめられた、不老長生を主な目的とする呪術宗教傾向の強い、現世利益的な自然宗教である。」(引用:窪徳忠著『道教入門』南斗書房出版) 

道教に教祖や創始者はおらず、常に新しいものを吸収して変化し続けている、漢民族の民族信仰であり、その歴史は漢民族の歴史とともにあると言える。

道教において祀られている神仙は、伝説上の皇帝や英雄、実在の人物、自然、自然現象から来ており、その数はとても多い。これには、古代中国人のアニミズムの影響がある。古代から、中国は生活が不安定で、常にどこかで、飢饉や干ばつが起きていた。そのような厳しい環境では、病気や不幸をもたらす鬼や悪霊からの救いを神に求めるようになり、多

くの神々が生まれた。日常が神々と悪霊や悪鬼に囲まれているため、信仰が厚いのである。

現代中国では、日本と同じように無宗教人口が多いが、信仰心は強い。正月よりも旧正月を盛大に祝い、占い、魔よけ、お札の力を信じ、自分が信仰している神仙や仏の誕生日には、それらを祀っている廟にお参りする。そこに宗教の区別はなく、道教の神も仏も同じように崇められる。

〈神仙思想〉

中国における五福(寿、富、貴、康寧、多子)の筆頭である長生を主な目的とし、服薬、運動、祈願、呪術などによるその達成方法を説いている、道教の核にあたる要素。紀元前 4 世紀ごろから始まった思想であり、そのから今日にいたるまで、人々は不老不死で超人的能力を持つ仙人への憧れの気持ちを抱き続けている。歴代皇帝もこれを信じ、不老長生の獲得のために多大な力を注ぎ、水銀中毒などによって命を縮めた者も少なくなかった。 

        神仙の特徴は、不老長生、変身できること、昇天することである。中には昇天できないもしくはしない仙人もおり、できる仙人を天仙、できないもしくはできるがしない仙人を地仙と言う。 

        神仙説の始まりは紀元前 4 世紀、斉の威王が、蓬莱、方丈、瀛洲(エイシュウ)という三神山に住む神仙から不死の薬を得ようと使いを送ったことと言われている。このような三神山の話を説いたのは道士であったが、その話がどこから始まったのかはわかっていない。各地で似たような話が伝えられている。初期の神仙思想は、このように三神山に住む不老不死の神仙を崇め、その力を与えてもらおうという考えであった。

        紀元前 2 世紀になると、前漢王朝の武帝に仕えた道士の李少君は竈(カマド)を祀れば、丹砂を黄金に変えることができ、その金で作った食器を使って物を食べれば、蓬莱山にいる神仙に会えると説き、武帝はそれを信じ、使いを送った。このことから、当時すでに、伝統的に祀られていた竈神と神仙思想が結びついており、錬金術と長生が結びつき、錬丹術が始まっていたことがわかる。また、このころから、神仙はより人間に近い存在となり、人間でも神仙になれると考えられるようになる。

        2 世紀ごろから、様々な養生術が成立していく(五穀不食、深呼吸、服薬、歩行法、尸解法)。

〈活動地域の気候〉

    今回の活動地域である、浙江省、江西省は海が近く、温暖湿潤気候である。9 月の平均気温は 25 度前後、平均最高気温は 28 度前後、平均最低気温は 20 度前後である。ここま

では、江西省と浙江省の差はさほどないが、杭州(浙江省都)では平均降水日数は 12

日、降水量は 123 ミリ、平均湿度 79%であるのに対して、南昌(江西省都)では平均降水日数 7 日、降水量は 70 ミリ、湿度は 75%と、内陸よりの南昌の方が晴れが多い。

〈道教について〉

「道教とは、中国古代のアニミスティックな民間の信仰を基盤とし、神仙説を中心として、それに道家、易、陰陽、五行、緯書、医術、占星などの説や巫(フ)の信仰を加え、仏教の組織や体裁にならってまとめられた、不老長生を主な目的とする呪術宗教傾向の強い、現世利益的な自然宗教である。」

窪徳忠著『道教入門』より

    道教に教祖や創始者はおらず、常に新しいものを吸収して、変化し続けている。イメージとすれば、宗教というより、とても広範囲の土着信仰みたいな感じなのかもしれない。

道教は中国人の根本思想であり、その歴史は中国の歴史とともにある。

―現代中国と宗教―

    現代中国では、日本と同じように無宗教が多いが、信仰心は強い。正月よりも旧正月を盛大に祝い、占い、魔よけ、お札の力を信じ、自分が信仰している神仙や仏の誕生日に  は、それらを祀っている廟にお参りする。そこに宗教の区別はなく、道教の神も仏も同じように崇められていて、現地のキリスト教徒もそれを崇めている。 

ポエ

願いごとを念じながら、二つの貝殻を投げ、神にその願い事をしても良いかを神に問う。裏表が一つずつであれば、願いは神に受け入れられる。表二つ、または裏二つであればその願いは受け入れられない。 

フーチー(扶乩)

コンパスのようなもので円形様の符号をかき、そこにできた符号を解読することで、神の意を伺う。 

タンキ―(童乩)

タンキ―に神が憑依することで、神の意を聞くことができる。

爆竹

悪鬼除けとして使われる。

―道教の主な神々―

観音・・・7 世紀ごろから信仰されている。いわゆる観音様。仏教の菩薩だが、道教の神と考えている人もいる。

関帝・・・8 世紀ごろから信仰されている。三国志でも登場する蜀の武将、関羽を神格化した関聖帝君の事。

媽祖・・・正式には天上聖母。10 世紀の福建省にいた巫女だった。航海守護神であり、鄭和が崇めたことで全土に知られた。仏として崇めるところもあるが、そもそも福建省では神々を道仏に関わらずブサ(菩薩)と呼ぶ。いまでは、その後里悪は事業の発展、治病、豊作、開運、旅行の安全、入試の合格などまで広がっている。

竈神(ソウシン)・・・竈はかまどの事。紀元前 6 世紀から信仰されている。その由来は諸説ある。人の善悪の行いを監視して、天神に告げることから、人々に恐れられている。 

土地神・・・いろいろな場所にいる、その地を守る神。 

                        例:城隍神(城壁に囲まれた町の守護神) 

                                后土神(守墓神、墓のそばに名が彫られたり、イラストが描かれたタイルが置かれる)

道教において祀られている神仙は、伝説上の皇帝や英雄、実在の人物、自然、自然現象か

ら来ており、その数はとても多い。

    これには、古代中国人のアニミズムの影響がある。古代から、中国は生活が不安定で、常にどこかで、飢饉や干ばつが起きていた。そのような厳しい環境では、病気や不幸をもたらす鬼や悪霊からの救いを神に求めるようになり、多くの神々が生まれた。日常が神々と悪霊や悪鬼に囲まれているため、信仰が厚いのである。

―道教の体裁―

道教の体裁は仏教と似ている。これは仏教に影響を受けたと言われているからだ。

仏教において寺院にあたるものが道教では道観・宮観である(道観と宮観に上下の区別や規模の違いはない)。道観はいわゆる普通の寺院のような道観と修行道場(十方叢林と呼ばれる)がある。道観には宗派に関係なく様々な宗派の道士(仏教では僧侶にあたる聖職者) がおり、住持が変わって、元住持の宗派と次の住持の宗派が異なる場合は、道観の宗派も変

わる。宗派には他力派と自力派があり、合わせて 100 ぐらいある。道観には女の道士だけがいるものもある。

自分の所属する宗派から分派したいときは、十方叢林に届け出をして作ることができる。道教は基本的に出家主義をとっており、道士は妻子を持てず、世捨て人となるが、台湾や

東南アジアでは在家道士も認められている。

―簡略道教史―

中国史の始まりから道教の要素はみられる。

中国最古の王朝である殷では甲骨に入った亀裂によって神意を伺っていた。その後の周でも似たような神権政治がとられていた。そのころに信仰されていたのは、自然や自然現象であり、道教にも見られるアニミズムはこのころから始まっている。 

    殷や周の王は、神を祀り、神意を聞いていたのであるから、王であると同時に巫(フ)の性質も備えていたといえる。ここにおいては、もともと二つの区別はなかったと思われる。祭政両方を行うリーダーがいたが、そのリーダーが後に政治を行う王と、祭を行う巫に分離したのだろうと言われている。 

    中国文明が起こったころから、中国は常に農耕生活をしていたため、天文学が発展し、それが現在も道教の一部である、占星術の発展につながった。 

    諸子百家が存在した、紀元前 3 世紀(戦国時代末期)には、神仙思想が誕生する。神仙思想は、それまでにあった伝統的な呪術、信仰と結びついて、方術(原初的な医術、卜筮(ボクゼイ)、占星、長生術)が生まれた。 

    紀元前 2 世紀、前漢王朝の武帝は不老長生にあこがれ、道士を側近に置きながらも、統治のための思想統制を行い、儒教を民衆に広めた。 

紀元前 1 世紀、黄帝や老子が神仙として崇められ始める。四書五経の後に道教にも通じる神秘的な解釈がされ、予言が書かれた緯書が書かれ始める。このころに仏教が伝来する。2 世紀、儒教の形骸化と政情不安(宦官の横暴、格差の広がり)から、仏教の信仰が盛ん 

になり、太平道や五斗米道などの道教的宗教集団も登場する。3 世紀、上清派の成立

4 世紀、神仙説の人気が高まり、多くの養生術が生まれ、それらが『抱朴子』葛洪著にまとめられる。このころ、仏教は次第にインテリの間に広まり、清談が流行する。 

五世紀、北魏王朝の太武帝の時代に寇謙之が新天師道を唱えた。

新天師道は五斗米道の長所、神仙説、道家思想、儒教、仏教をとり入れた。ここに、しっかりとした組織と体裁を持った道教が成立した。 

7 世紀、唐王朝の時代、教祖を老子、開祖を張陵とされるようになった。宗教としての体裁をより整えるためだと思われるが、実際には道教には教祖も開祖もいない。 

―道教を作り上げる要素― 巫

シャーマンのような存在。かつては祭政を行うリーダーがいたが、祭を巫が、政治を王が行うようになった。 

巫が行うことは主に以下の 7 つ

・降神(神が乗り移って、神意を伝える。現代では童乩がしていること)

・解夢 

・予言 

・祈雨(日照りは神の怒りの表れとされ、人の罪の許しを神に請い、雨を降らせる)     

・医術(病気は神の罰か悪鬼の仕業と考えられていた)

・占星

・呪い(神意に基づいて、除災招福を行った)

神仙思想

        中国における五福(寿、富、貴、康寧、多子)の筆頭である長生を主な目的とし、服薬、運動、祈願、呪術などによるその達成方法を説いている、道教の核にあたる要素。紀元前4 世紀ごろから始まった思想であり、今日にいたるまで、人々は不老不死で超人的能力を持つ仙人への憧れの気持ちを抱き続けている。歴代皇帝もこれを信じ、不老長生の獲得のために多大な力を注ぎ、水銀中毒などによって命を縮めた者も少なくなかった。 

        神仙の特徴は、不老長生、変身できること、昇天することである。中には昇天できない仙人もおり、できる仙人を天仙、できないもしくはできるがしない仙人を地仙といった。 

        神仙説の始まりは紀元前 4 世紀、斉の威王が、蓬莱、方丈、瀛洲(エイシュウ)という三神山に住む神仙から不死の薬を得ようと使いを送ったことと言われている。このような三神山の話を説いたのは道士であったが、その話がどこから始まったのかはわかっていない。各地で似たような話が伝えられている。初期の神仙思想は、このように三神山に住む不老不死の神仙を崇め、その力を与えてもらおうという考えであった。

        紀元前 2 世紀になると、前漢王朝の武帝に仕えた方士の李少君はカマドを祀れば、丹砂を黄金に変えることができ、その金で作った食器を使って物を食べれば、蓬莱山にいる神仙に会えると説き、武帝はそれを信じ、使いを送った。このことから、当時すでに、伝統的に祀られていた竈神と神仙思想が結びついており、錬金術と長生が結びつき、錬丹術が始まっていたことがわかる。また、このころから、神仙はより人間に近い存在となり、人間でも神仙になれると考えられるようになる。

        2 世紀ごろ、様々な養生術が成立していく(五穀不食、深呼吸、服薬、歩行法、尸解法)

道家

        道家は道教とは区別されなくてはならないが、その主要素の一つであることに変わりはない。道家というと、老荘思想の老子や荘子を思い浮かべるが、彼らが道家という思想形態を作ったわけではない。

        紀元前 2 世紀、道家は人間中心主義の孔子の考え(儒家)を批判し、それなりに活躍した自然中心主義者全体を言い、決まった体系はなかった。2 世紀にそれまでの道家の思想家の思想をまとめた『道徳経』が書かれると、道家に学派的なまとまりができ、このころから老子が開祖とされるようになった。老子は孔子の師であるという話もつくりあげ、道教が儒教に対する優位をアピールしたり、老子は、中国を去り、インドに旅立って釈迦になったという説話も生まれたりした。

        道家の思想は、人間中心主義の儒家とは違い、自然中心主義であり、政治よりも宇宙観や人生観、処世術を中心に説いた。しかし、政治について触れていなかったわけでもない。政治は無為を手段とした天下統一の理論を提唱した。支配者階級の儒家や墨家、法家に対抗する民間の思想だった。

        道家の中心概念に「道」がある。

        「道」とは、

        ・五感では捕らえられない形容困難な存在をしいて名付けて「道」としている。

        ・万物の根源

        ・万物のどれでもないが、万物は「道」を離れて存在することはできない。

        ・「道」の作用は「無為」だが、万物を成立させる力をもつ。その作用を「自然」という。

        ・時間空間を超越した無限の存在で常住不変

「道」とは、この世界そのものや絶対的な秩序ということができるかもしれない。それに従って生きることを求めた道家は、人為的に作られた仁義礼智を説く儒教を批判した。道家の思想を発展させたのは荘周(荘子)である。しかし、紀元前 4~3 世紀の人で、

その人自身についてはほとんど何もわかっていない。

荘周は対立関係というものを取り去った「道枢」という状態を理想とした。対立関係は  人為的なものであるため排し、全体として世界を見ようとした。その際この世界は全て因  果関係によって結ばれていると主張した。このときの全体的秩序を「真宰」または「真君」  と呼んだ。無我になり真宰に従うことで、善悪や理非の区別はなくなり、生死の区別もな  くなると説いた。これは、荘周が精神的な死生超克を目指したということになる。真宰と  一致するために、感情や感覚を抑える方法を説き、これは道教の養生術にも応用されるが、道教では荘子が精神的な死生の超克を目指したのに対して、肉体的な死生の超克を目指   した。 

陰陽説

    紀元前 6 世紀ごろに生まれた考え方であるように思われる。そのころはただ光と影を

表すだけであったが、その後、寒暑のもとになると考えられるようになり、一年の季節の移り変わりを支配する力をもつ気と考えられていく。一日の昼と夜、一年の春夏秋冬に見られるように、陰と陽は循環している。また、冬の中にも春の兆しが見えるように、陰が表に出ているときでも陽は裏で存在しており、その逆もしかりである。また、時代が流れると陰陽説はさらに発展し、万物を生み出し、すべてを支配する天の気を陰陽の二つでとらえるようになり、この二つが一切の現象や存在を生成する二気とされた。ここから、陰陽は対立関係なのではなく、相互に補い合う存在なのである。 

    陰陽説では、奇数が陽、偶数が陰とされており、特に 9 が最大の陽を持つとされている。

        易は元々陰陽説と関係なく存在していた考え方であった。その内容は柔と剛によって宇宙を説明する考え方であった。陰陽説と似ているが、柔と剛は陰と陽と違って循環しないため、時間がたつと易は、柔と剛と似ている、陰と陽を取り入れるようになった。易では陰を―、陽を-で表している。これを爻(コウ)という。爻を三つ組み合わせたものを卦という。卦は八通りある。乾、兌(ダ)、離、震、巽(ソン)、坎(カン)、艮(ゴン)、坤(コン)韓国の国旗にも描かれている。 

        この八卦の 64 通りの組み合わせを用いて吉凶を占う。

        この爻の概念を持つ易が陰陽説に取り入れられたことによって、陰陽説は高度に発展することになる。ここで、陽は積極的、主導的、陰は消極的、補助的な概念になった。

五行説

        紀元前 5 世紀ころから生まれた。

        生活に必要な五つの材料、五材が元であるといわれているが、その五材の内容はわかっていない。「行」はめぐる、変化の意味である。 

        古代中国には「時令」という考え方があった。為政者が季節によってしなければならな いことを定めたことである。これに色や音、味などを当てはめたことで五行説が発展した。 

        のちに相勝説が唱えられるようになった。(木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝つ)これは王朝交代の際の、新王朝の正当性を主張するために利用された。また、相生説(木は火を生かし、火は土を生かし、土は金を生かし、金は水を生かし、水は木を生かす)も王朝の正当性を主張するために作られたと思われる。 

緯書

        陰陽五行説はもともと、天の気が万物や現象を生み出し、支配するという考え方であったが、人々の行為が自然に大きな影響を与えるという考えにも発展した。そこで登場したのが、予言の書である緯書である(良い皇帝の時代には、災害も起こらないという具合)。 

        緯書には予言(韱)と経書の神秘思想の註釈的な解釈との二つに分けられる。王朝交代

のときに王朝の正当性を主張するため、緯書を作らせることもあった。

〈洞天福地について〉

    道教の聖地であり、神仙思想に関わる伝説が残されていることが多い洞窟の事である。古来漢民族が住んでいる地域に広く分布していて、少数民族自治区以外の地域にはたいてい存在する。

    洞天福地思想の雛型が形成されたのは、遅くとも四世紀前半であり、東晋末の上清道教が理論の形成に大きく貢献したと言われる。当時漢民族には、経験から計り知れない神秘の世界である山岳の内部である洞窟は、神秘の中にある神秘ということで神聖化された。それを道教的な思想である仙人や「道」と結びつけて、洞天福地思想を形成したのであ  る。 

    唐の時代に司馬承禎(647~536)による『洞天福地天地宮府図』や杜光庭(850~933) による『洞天福地岳瀆名山記』で洞天福地についての詳しい記述を残されており、彼らは十大洞天、三十六小洞天、七十二福地という形で主要な洞天福地をリストアップしてい  る。それらの資料を元に洞天福地について知ることができるが、現在の洞天福地の状況を調査した記録はほとんどない。 

〈括蒼山(第十大洞天)〉 

・『洞天福地天地宮府図』司馬承禎著

「第十括蒼山 周廻三百里号曰盛徳陰玄之洞天在處州楽安縣属北海公涓子治之」

「周回三百里、号して盛徳陰玄の洞天と曰ふ。処州楽安県に在り、北海公涓子に属して之を治めしむ。」 

・『洞天福地岳瀆名山記』杜光庭著

「第十括蒼洞盛徳陰真天廣三百里平仲節理在台州楽安縣」

「第十括蒼洞盛徳陰真は広さ三百里で、平仲節が管理する台州楽安県に在る。」

・2009 年土屋昌明氏による調査

            括蒼山は、現在の浙江省仙居県にあるが、位置的には臨海県の中心部と仙居県の中間地点にある。括蒼山を管理する道館は凝真宮であり、当時の道長は間玄真である。彼を含めた三人の道教関係者に土屋氏は聞き取り調査を行っている。以下は間道長の発言である。 

            「後漢(25 年~220 年)の 21 年に徐来勒が初めて括蒼山は洞に来たが、彼は星象を観察に来た。彼は星象の観察から地震その他の自然災害を予測したのだ。漢代の上層社会は道教を尊崇し、唐代に至るまで、多くの皇帝が丹薬を服食する習慣があった。その

ため、丹訳をどこで煉ったらよいかが問題となった丹薬を煉る場所だけではなく、丹薬を採集する場所も含めて、適切な場所を選択しなければならない。たとえば、括蒼山洞はそうした煉丹の場所であり、かつてそこで煉丹した人々はみな宇宙や自然のことに深い認識を持っていた。そこで煉られた丹薬、修道に至ったレベル、その他の気候・風水、得道者の数などから、そこがなぜ第十位だったり第一位だったりするのかが確定された。括蒼山洞は第十大洞天で、福星山とも紫雲洞ともよばれ、古代の歴訪では木星を観測した天文観測地点だった、歴史記載によれば拝斗台もあったが、いまは壊されて存在しない。」 

            「この近辺には 16 の洞がある。仙人洞・朝元洞・水簾洞・福雲洞などがあり、開発はされていないが、すべて古代の煉丹の痕跡が見いだせる。括蒼山は我々が管理しているが、その他の洞、たとえば、丹露洞は管理されていない、地元の人々が管理しているというべきである。丹露洞は第 10 福地にある。第 10 福地にはほかに財神洞・雪洞など洞が多いが誰も管理していない。」 

        (出典:『洞天福地研究第一号』好文出版)

           「凝真宮のすぐ背後に括蒼山はあり、その内部には巨大なホール状の洞窟があり、奥へ小さな洞窟が続いている。そのホール状の洞窟の床は石敷きできれいに整備され、むしろの座が敷いてあり、5,60 人はすわることができると思われる。洞窟の奥には人が立ち入れるほどの狭い洞窟が続いており、内部では、洞窟が複雑につながっているとのことである。立ち入ることは許されなかった。 

            この奥の洞窟内部から 2009 年に凝真宮の道士が括蒼山の整理作業をした際に、竪穴を一か所発見した。穴は直径 70 センチ、深さ 120~130 センチで、深さ 2,30 センチのところで石板が置かれてあり、そこに青磁の碗の破片が二件、穴の底には白璧があり、その上に長さ 11 センチ、高さ 7 センチの金竜が置かれ、さらにもう一つの白璧が覆っていた。これらの遺物は全て宋代(960~1279)のものと思われる。」 

            ほかにも、この近辺では簡や摩崖刻石「洞宮界」の石碑が発見されている。土屋氏が確認した「洞宮界」の石碑は南界だけであり、間道長は北界、東界の石碑を見つけている。括蒼山を管理する道館である凝真宮は 2009 年当時、宿泊可能だったという。また、凝真宮の間道長は人民解放軍に武術教えていたこともある、武術の達人である。 

〈調査方法〉質問内容

    道士に聞き込みを行う際の質問項目は以下のとおりである。

        ・回答者の基本情報

                名前、年齢、民族、道士歴、宗派、道館での役職

        ・洞窟について

その地はなぜ洞天福地に選ばれたのか

その地に洞天福地(洞窟)はあるか、どこにあるのか

その地の洞天福地(洞窟)に入ったことがあるか、案内してもらうことは可能か洞天福地(洞窟)はどのようなことに使われていたのか、現在の状態はどうか

その洞窟はどのような様子か(形状、全長、危険個所の有無、遺物、加工) その地に洞天福地にまつわる伝承はあるか

周辺に洞窟はあるか、その洞窟にまつわる伝承はあるか

        ・道士・道館について

                道館の歴史

道士となったきっかけ、道士になる前の生活

                何を目指して修行をしているのか

                どんな修行をしているのか、見せてもらうことは可能か

                どのような暮らしをしているのか

その暮らしは一年中同じか、季節によって違うことをするのか

                道館には何人の修行者がいるのか 

                彼らは皆同じ修行をしているのか 

                洞窟で修行はしないのか、するならどのような修行をするのか

・仙人について

仙人を知っているか

                仙人を目指しているのか

                その地に伝わる仙人にまつわる話はあるか、いつ頃の話かその仙人は実在したと思うか

                仙人と洞窟には関係があるのか

概念図の作成

    洞窟や遺跡の位置は地形図に記入し、道館、遺跡、洞窟の方角、距離(歩測、目測)を測り位置関係を概念図に記入する。また、周辺の植生、地形、景観を写真、スケッチ、文章で記録する。洞内については、全体概念図とは別に洞窟概念図を作成する。洞口の形状、方角、大きさを測り、洞内においては、ポイントを取っていき、幅、ポイント高、天井高、ポイント間の斜距離、斜度、方位を測り、生成物、遺物がある場合は記録する。また同時に洞内のスケッチを作成し、縦断面図、横断面図、平面図を作成する。また、測量について道館の許可を得て、人目を逃れられない場合は測量を行わず、目測とスケッチと写真撮影のみで出洞後に概念図の作成を行う。

〈交通手段〉

街をから街への長距離の移動は列車、高速バスを使用する。街の中での短距離の移動は、鉄道、バス、タクシーの中で最も移動しやすく安価な移動手段を選択して移動する。 

〈通信〉

本隊と在京連絡人との連絡は、隊員個人所有の携帯電話にて行う。隊員は中国渡航前に中国の通信することができる SIM カードを購入する。

中国のプレフィクス番号は「00」、国番号は「86」であり、日本のプレフィクス番号は「010」、国番号は「81」である。よって、中国から日本に電話をかける場合は、「010-81-○○○-△

△△-×××」という形になり、日本から中国に電話をかける場合は、「00-86-○○○-△△

△-×××」という形になる。また、市外局番の最初が「0」の場合は「0」が省略されるため、日本国内から中国にいる辻(080-4095-2040)に電話をかける場合は「010-86-80-4095- 2040」となる。 

※本隊が中国滞在中は SIM カードを購入するため、現地での辻の電話番号は変わる。そのため、今活動中は例で挙げた辻の電話番号にはつながらない。

〈保険〉

海外保険について

    今回隊員は,万が一の事故に備えて全員がジェイアイ傷害保険火災の旅行保険 t@biho(たびほ)の海外旅行保険に加入する。 

この保険の場合,現地でのトラブルなどの緊急時にサポートデスクがある。サポート内容

・トラブル時の対応相談 ・医療機関の手配や案内

・電話による医療通訳 ・トラブル時移送機関の手配     

・パスポートなど盗難時の手続き 等

サポート内容は杭州ではキャッシュレス提携病院が利用できる。病院名…浙江大学医学院附属邵逸夫医院 国際医療中心(International Health Care Center)

HP…https://www.wti.ne.jp/mpdb/tabiho/mp.asp?MedicalAgencyID=493 

保険の補償内容は以下の通りで,一人当たりの金額は 6410 円である。

             
                

〈食糧計画〉

基本的に外食だが、洞天福地の調査をしている間は行動食で済ませるため、洞天福地に向かう前に、市街にて行動食を購入する。

【安全対策】

〈野外行動の際の注意点〉

・約 50 分に 10 分休憩するペースを維持し、無駄に休憩を取らない。     

・話しながら歩ける程度のペースを心がけ、パーティー内で分裂が起きないようにする。     

・体調がすぐれないなど少しでも体に異常を感じたら我慢せず、すぐに CL や周りの隊員に報告する。やむをえない場合には、途中敗退も辞さない。    

・ブッシュをする際は長袖、長ズボンで行動する    

・必要な時には軍手を着用する    

・落石や転倒、特に雨天時の滑落に注意する  

〈入洞時の注意点〉

・入洞の際は、光源二つ以上と予備電池を所持して入洞することによって、光源の電池切れや故障などで光源が絶えないようにする。

・洞内ではパーティーでまとまって行動し、個人行動を起こさない。

・竪穴部分、峡部はそこを通過した後に戻ってこられる自信がない場合は無理をして入らない。

・洞窟の形状は見る場所によって見え方が異なることもあるため、頻繁に後ろを見返して、入口に戻る際に見ることになるだろう洞窟の形状を把握しておく。

・ルートを間違えやすい分岐点では、目印になるものを置いて、撤退の際に迷わないようにする。

・常に撤退を考えて奥に進む。

・洞内で遺物や生成物を発見した場合は、それらに触れないようにする。

 〈熱中症について〉   

熱中症とは、体の中と外の”あつさ”によって引き起こされる、様々な体の不調のこと。専門的に言えば、暑熱環境下にさらされる、あるいは運動などによって体の中でたくさんの熱を作るような条件下にあった者が発症し、体温を維持するための生理的な反応より生じた失調状態から、全身の臓器の機能不全に至るまでの、連続的な病態。     

[熱中症の類型]

死亡事故につながるケースもある。一般に「暑い環境で起こるもの」と思われがちだが、スポーツや活動中においては、体内の筋肉から大量の熱を発生することや、脱水などの影響により、寒いとされる環境でも発生しうる。実際、11 月などの冬季でも死亡事故が起きている。また、運動開始から比較的短時間(30 分程度から)で発症する例もみられる。     

{種類別原因と治療法}    

[熱失神]     

原因:直射日光の下での長時間行動や高温多湿の室内で起きる。発汗による脱水と末端血管の拡張によって、体全体の血液の循環量が減少した時に発生。      

治療:輸液と冷却療法を行う。      

[熱痙攣]     

原因:大量の発汗後に水分だけを補給して、塩分やミネラルが不足した場合に発生。     治療:食塩水の経口投与を行う。      

[熱疲労]     

原因:多量の発汗に水分・塩分補給が追いつかず、脱水症状になったときに発生。     治療:輸液と冷却療法を行う。      

[熱射病]     

原因:視床下部の温熱中枢まで障害されたときに、体温調節機能が失われることにより生じる。      

治療法:緊急入院で速やかに冷却療法を行う。      

{応急処置法}     

[迅速さの大切さ]     

意識障害を伴うような熱中症においては、迅速な医療処置が、生死を左右する。発症から20分以内に体温を下げることができれば、確実に救命できるともいわれている。実際、熱中症になった者を、医療機関へと搬送する場合、下のような二通りの方法が考えられると思われる。     

  1. 救急車による搬送   
  2. それ以外、タクシーなどでの搬送   

(医療機関に運ぶまでの手当て)     

休息:安静にさせる。そのための安静を保てる環境へと運ぶこととなる。衣服を緩める、また、必要に応じて服を脱がせ、体を冷却しやすい状態とする。    

冷却:涼しい場所(クーラーの入っているところ、風通しの良い日陰など)で休ませる。症状に応じて、必要な冷却を行う。      

水分補給:意識がはっきりしている場合に限り、水分補給をおこなう。意識障害がある、吐き気がある場合には、医療機関での輸液が必要となる。      

{準備しておくもの}     

  1. 冷却剤(氷嚢、アイスパックなどと、冷水を作るために十分な量の氷)   
  2. 送風器具(送風できるものならば、団扇、扇風機、服など、どのようなものでも可)   
  3. 水もしくはぬるいお湯(可能ならば、霧吹きを用意し、その中に水を入れておく)   
  4. 痙攣(ケイレン)の対処用に、塩分濃度0.9%の飲み物(例:生理食塩水)

〈食中毒〉 

    中国は日本より衛生環境が整っていない。そのため、ミネラルウォーター以外の水、生の食品、屋台で販売している食品などを摂取することは避ける。食中毒になった場合は整腸剤を服用し、水分を十分に摂取して、回復するまで安静にする。症状が深刻な場合は病院に行く。 

〈予防接種〉

想定される感染症と予防接種について

A 型肝炎 わずかに死亡する可能性あり

不衛生なものを摂取することで、感染する。

2~7週間の潜伏期間後、発熱、倦怠感、吐き気をもよおす。予防接種は2~4週間の間隔で、2 回接種すること。

破傷風 死亡する可能性あり

傷口に破傷風菌が侵入することで、感染する。破傷風菌は土、泥の中にいる。 3 日~3週間の潜伏期間後、口が開けにくい、全身が痛む、首筋が張る。 

1968 年以降に生まれた人は、幼少期と 11 才に予防接種を受けている。だが、免疫は 10 年

程度しか持たないので、過去 10 年に予防接種してない人は確認し、接種すること。

狂犬病 死亡する可能性あり

動物の唾液から感染する。かまれたり、前足でひっかかれたりすることで感染する。基本的に、潜伏期間は10日ほどだが、場合によっては長期間潜伏することがある。症状は、発熱、頭痛、倦怠感、恐水症、恐風症などである。

予防接種は、日本では接種日を 0 日とし、0-28-180(日)の間隔で接種する。

上にあげた感染症は全てワクチンがあるので、発症したら医療機関に早急に向かう。

〈日本語または英語対応の医療機関〉

・杭州

浙江緑城医院

住所:杭州市西湖区古墩路 409 号電話番号:571-8821-3830

診療時間:24 時間年中無休診療科目:全科

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